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【森本医師連載】回想法に役立つ『郷土絵葉書』

2024-01-29
カテゴリ:【森本医師連載】
第3回 佐伯港(葛港)①
こんにちは。今回は佐伯港の風景今昔をご紹介します。
佐伯港は古くから葛港とも呼ばれて、前面に大入島を望み、地形と水深に恵まれた良好として、「佐伯の殿様、浦で持つ」と言われたように、江戸時代から海上交通の要衝として栄えてきました。葛(かずら)港の語源は、川が海にそそぐ地点である「川面(かわづら)」から由来するものであり、植物の葛とは関係ないそうです(郷土史研究者・小説家の佐藤蔵太郎の説より)。近代的な港の建設は昭和9年(1934年)の海軍佐伯航空隊設置を契機として、軍用施設として港湾整備されました。戦後は造船、セメント、木材などの臨海産業の大きく発展します。昭和29年(1954年)には外国貿易ができる港として開港、昭和45年(1970年)には重要港湾に指定されます。
1枚目の写真は明治40年(1907年)頃の、帆船が停泊できる程度の港時代です。手前には小舟を操る船頭が映っています。
2枚目の写真は大正初期の佐伯港で、桟橋に多くの人々や荷物を乗せた船が着いて賑わっている様子です。
3枚目の写真は右手前に海軍のカッターボート、その左にはエンジンを備えた連絡船が映っており、軍艦や蒸気船から人々や荷物の運搬を担っていました。

【森本医師連載】回想法に役立つ『郷土絵葉書』

2023-12-29
カテゴリ:【森本医師連載】
第2回 シン・風景今昔~城山編②
こんにちは!
前回に続き城山について、戦前の郷土絵葉書と現在の風景を比較しながらご紹介します。



城山から東(海側)を見た風景です。この郷土絵葉書は大正時代に撮影されました。佐伯湾に浮かぶ大入島、八島が見え、番匠川に臼坪川が合流する風景、手前には第1回でご紹介した馬場の松と県立佐伯中学(現在の佐伯鶴城高校)が見えます。戦後は佐伯市の発展に伴って、番匠川の河川改修や埋め立て工事が行われて、佐伯市役所や南海医療センターなどが新築されました。

城山から南を見た風景です。郷土絵葉書は昭和戦前期に撮影されました。中央遠方に国木田独歩の作品でも有名な元越山が見え、番匠川や潮谷寺、手前に佐伯尋常小学校(現在の市立佐伯小学校)が見えます。現在の写真と比較すると、市街の発展や河川改修の様子がよくわかります。

 城山(西の丸)から西を見た風景です。この郷土絵葉書も大正時代に撮影されました。この写真からは右側の山しか見えていませんが、現在の写真では、中央遠景に佩楯山をはじめ、東自動車道や稲垣橋、西田病院、鶴岡小学校の建物が見えます。城山は今も昔も憩いの場所ですね! 
※本記事は広報誌「にしだ便り」第24号(令和5年1月発行)に掲載されています。

【森本医師連載】回想法に役立つ『郷土絵葉書』

2023-11-14
カテゴリ:【森本医師連載】
第2回 シン・風景今昔~城山編①

こんにちは!

今回は、すべての佐伯市民にとって心の風景である城山について、戦前の郷土絵葉書と現在の風景を比較しながら2回に分けてご紹介します。



この郷土絵葉書は明治末から大正初期に撮影された写真で、当時の番匠川から見た城山と池船橋です。(※戦後の河川改修で現在は中江川になっています。)

城山の樹木の状態から、当時も頂上からの展望が良好であったことが偲ばれます。同じように昔から展望に優れていた大分市の上野丘や鶴崎の地蔵山は現在は戦後に樹木が生い茂って市街の風景がほとんど見えなくなっている状況と比べると、改めて素晴らしいと思います。

城山の麓の三の丸には御殿がありましたが、市内の住吉神社に一部が移築された後、佐伯文化会館が建設されました。前回ご紹介したように、佐伯文化会館には菅一郎画伯が描いた「神の井」を原画とした緞帳があり、市民に長年親しまれていました。

 城山を登ると本丸から佐伯湾の八島や佐伯市街が見えます。現在も展望が素晴らしく、郷土絵葉書で撮影された写真から定点比較ができます。

※本記事は広報誌「にしだ便り」第24号(令和5年1月発行)に掲載されています。

【森本医師連載】回想法に役立つ『郷土絵葉書』

2023-10-03
カテゴリ:【森本医師連載】
第1回 奉安殿と馬場の松
昭和14~15年(1939~1940年)以前に生まれた方に、「小学校に奉安殿はありましたか?」と尋ねると、認知症が進んだ方であってもほとんどの方は、「ほうあんでん、、、あった!あったで。そこで校長先生もみんなお辞儀をしよったで。若いのによう知っちょるなあ。。。」と仰って下さいます。奉安殿は大正から昭和戦前期にかけて、日本の全ての学校のグラウンドや講堂に設置され、中に天皇皇后陛下の御写真と教育勅語が収められていました。
絵葉書1枚目の右側に、県立佐伯中学校(現在の佐伯鶴城高校)に昭和3年(1928年)に設置された奉安殿の写真があります。左側には昭和11年(1936年)に増改築された佐伯中学校の本館と、江戸時代から伝わる馬場の松が映っています。
西田病院初代院長の西田茂先生は、中学時代の思い出として、『私が5年生だった大正10年頃の母校佐伯中学校で、今も特に印象に残っているのは校歌の中の一節にある馬場の松です。(中略)校訓にある自治・信愛・剛健そのものの如く、緑陽樹の名の通り、鮮やかな緑の色を1年中たたえ、真夏には涼しい影をつくり、冬は寒風を防ぎとどめ、あたかも私たちの勉学と身体の成長を見守っていたかのようでした。』という回想文を残されています。
ところで佐伯中学校の応接室には、菅一郎画伯が描いた絵画「神の井」が掲げられていました(絵葉書2枚目)。残念ながら昭和20年(1945年)の空襲で佐伯中学本館の右側が爆撃を受けた時に失われてしまいますが、長年親しまれてきた佐伯文化会館の緞帳の原画として有名な「神の井」の絵は、現在も市民の心の風景になっています。
※本記事は広報誌「にしだ便り」第23号(令和4年9月発行)に掲載されています。

【森本医師連載】回想法に役立つ『佐伯の風景今昔』

2023-10-02
カテゴリ:【森本医師連載】
自己紹介
こんにちは!内科の森本卓哉です。
私は郷土史愛好家で、学生時代からこれまで千枚以上の大分県の郷土絵葉書を収集してきました。 当院の「ものわすれ外来」では 、認知症診療を行う中で「回想法」といって、 患者さんの青少年時代の懐かしい思い出(遠隔記憶)を語って頂くこともあるのですが、誰もが馴染みのある昔の風景を撮影している郷土絵葉書は良い題材となります。このコーナーでは、佐伯の郷土絵葉書を中心にご紹介して、読者の皆さまと楽しみながら脳と心のリフレッシュを図りたいと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
医療法人慈恵会 西田病院
〒876-0047
大分県佐伯市鶴岡西町2-266

Tel.  0972-22-0180

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